置き場

思いついたこと書いていきます。

保健室登校をしていた時の思い出

 こにゃにゃちわ。

 

 唐突に始めたこのブログ、なんとなく自分のこと整理して振り返っていこうかな、なんて思い始めてこうやって文章書きなぐってるわけでして、飽きるまでやるかなって気がします。閲覧しながらまあこんな人間もいるんだな~なんて思ってくれさえすればいいなって言う軽い気持ちですが、まあ何卒。

 

 いろいろ書いていこうかな~と思ってまず思い出したのが小学校高学年の時の僕の思い出でした。

その時の自分と今の自分を振り返ってみても、いまいち成長したとは感じられなかったりします。あの頃からこんな感じの内面だったし、太ってたし。

偏屈さが少し収まったかもしれないな程度の感想しか浮かんでこないですね。

 

 大人びてたというか、背伸びしすぎていたというか、とにかくやっと体が心に追いついてきたんじゃないかなって気がしてます。

 

 僕のことはTwitter(https://twitter.com/5pd1)見てるとわかると思うんですが、割と不安定です。大半は自分のやってるゲームのことしか言ってないつもりなんですけど、急に病み出したり、マイメロディみたいなゆるふわアイコンの奴らが言い出しそうなこと言い始めたり、エモくなってたり。

副垢作って吐き出そうかな~なんて思いつつも、作ったっきり動かしてないみたいなそういう自堕落な性質もあるので、ほんとしょうもないやつです。

 

 そんな自分は、教室で日々を過ごしていることに対して「これって意味あることなんかな~テストとか成績は塾行ってるから問題ないし、別に学校くる必要なくね?」なんて思い始めちゃってたりしました。

 

 今思い返しても、やっぱりいる意味なんてなかったと思います。この時の僕は正しかった。友達と関わることが減っちゃったのは確かに悲しかったけど、それ以上に僕にとってはあの教室というのはひどく苦痛で占められた空間でした。

 

というのも、僕の小学校5年生の時の担任が連帯責任を強要する、完璧主義者の方でして。

自分がクラスを受け持ったからには自分の言うことを聞かせてやる、悪い子は許さない!みたいな、絶対的ヒエラルキーを自分の中で持っている方でした。

 

遠足でちょっとお菓子をつまみ食いしようものならクラス30人全員の自由時間を奪って「どうしてこうなっているのか話し合いしなさい」だとか、給食を食べきらなければお昼休みに入らせてくれなかったりだとか、授業中に誰かがふざけてたら「注意しないあなたたちも悪い」って言って教科書の文言を全員丸写しだとか。

とにかく全員が足並みそろえてはいワンツーっていう、某国の某パレードみたいな協調性を強いられてて、先生が教室にいるときはとにかく空気が重くて、冗談抜きで首が締まっているかのような感覚がありました。

 

 皆よく不登校にならなかったな~ストレス耐性高いな~って思ったりしてました。案の定、僕は学校に行かなくなりましたね。だって学校行かなくても勉強できるし。頭良かったし。公園いけば友達と遊べるし。誰かの家でゲームしようぜって電話するし。

 

ちょっと変わったタイプの不登校だったのかもしれません。いじめにあってたわけでも、独りぼっちで心が締め付けられていたわけでも、なんでもなかったのです。

ただその担任が、そしてクラスの空気が僕には耐えられなくて、僕は学校から逃げるという選択をしました。

その選択を受け入れてくれた人には感謝するしかないですね。本当に。

 

んでまあそうなってくるとやっぱり学校から電話がかかってきたり、担任との面談があったりするんじゃないかなーと思います。

何でそこ曖昧なんだよ、って思われるかもしれないんですけど、実はあんまり記憶がないです。

誰の言葉も大して耳に入ってなかったんでしょうね。自分はこうするって決めたのでよっぽどのことがない限り話すことはありませんっていうスタンスを貫いていたんではないでしょうか。自閉的ですね。

 

 そして、そんなことをしているうちにその「よっぽどのこと」っていうのが出てきて、それが保健室登校という選択肢だったわけですね。

 

 保健室には割となじみがある人間でして、授業中に鼻血だすのは日常のこと、休み時間に校庭で遊んでボール擦って怪我したりだとか、急に高熱出してぶっ倒れたりとかそういうのがあるタイプでした。あと授業めんどくさいときとか熱計りに行って先生が見てないうちに息吹いて熱を出すみたいなアホみたいなテクニックも使ってました。あの頃は。今になってもさぼり癖は抜けてませんけど。

 

で、その保健室の先生から「保健室登校ってのがあって、それをしてくれればひとまずはうるさくないよ」って言われました(不登校になったときはほぼ毎日担任からの電話が来ていたので)。

そっかぁ、それならクラスに行かなくて済むし、担任ともそこまで会わなくていいし、でも友達とは会えるしいいじゃん!って思って、そこから僕は保健室登校を始めるようになりました。

 

 一言でいうと、まぁそれなりに気持ちは楽でした。「学校に行ってない」って言う負い目を背負わなくても済んでいたのが一番大きいかなって思います。

病気とかでもなくずる休みしてて、お昼にやってる教育番組とかを見ているとなんだか自分は悪いことしてるんじゃないかなって思ったりしちゃうんですよね。

それが取っ払われたってのはほんとうに精神的に楽でした。

 

 保健室で何してたの~って気になる方もいると思うんですが、普通に進級した時に配られたドリルとかやってました。一応学校なので、ゲームとかそういうのは普通にダメです。許されません。

 

あとはお手伝いをちょびっとしたり。ゴミ捨てとか、薬品の整理とか、保健室に来た人の名簿のチェックとか。

普段やってない事をやると新鮮味があるのも相まって、楽しくお手伝いしてたような気がします。

 

ベッドもあるので好きに寝てられました。さすがに他の人が来てたら避けてましたけどね。どれだけ保健室が賑わってきていても僕のことをおろそかにしていなかったので、保健室の先生は本当にすごい人だなと感じます。

 

ごくたま~に先生がクラスの子を連れてきて一緒に写真撮ってたりしてたんですけど、あれはまあ卒業アルバム用のだったのかな。

 

 まあそんなこんなで楽しく保健室ライフを過ごしていたんですけど、終わりって言うものは当然に来ますね。

はい、進級がやってきました。僕の通っていた小学校は5→6年生に上がるとき、基本的に担任は変わらないというのを知っていたので、来年からも保健室だな~修学旅行どうしよ~なんて思いながらいたわけですけど、問題はそっちではありませんでした。

 

保健室の先生が離任することになっていたのです。

 

めっちゃショックでした。もうかなり。それはとんでもなく。

 

でも僕に文句なんて言う資格はない。もちろん、いかないで、なんていうわがままも。

桜が少しづつ花を開いているその時に、僕の心の支えとなってくれていた人は遠くへ行ってしまいました。

 

 そして新しく赴任してきた先生がんま~~~~~~~理解が進まなくて。何度言っても「保健室はそういう場所じゃない!」の一点張りでした。

40代くらいの化粧の濃いカエル顔の印象最悪な先生、というレッテルを張り付けて僕は保健室から逃げました。

こりゃだめだな~、ってなってそこからは自宅で過ごすようになってました。

 

その3か月後くらいに、僕はいろいろな要因が重なり祖母の住む北海道で過ごすことになるのですが、そこら辺はいずれ別の記事で書けたらいいかなと思います。

 

そんな紆余曲折があって今の自分がいると考えると感慨深いですね。保健室登校最高!世の中の教室に行きたくない皆も周囲が許してくれるなら保健室に行こう!出席だけは貰えるぞ!世界に負けるな!

 

 

 

 それではこのへんで。

 

 

ちなみにその後、やさしいほうの保健室の先生とは何度か会ってお話したりできました。僕の中では忘れられない恩人です。